HOME > 起業のすゝめ記事一覧 > 経営者に求められる「素直さ」店長が求めるべきは「街の声」
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やきとり酒蔵 「 庄助 」 や 個室Dining 「 しょう助 」 など、新宿エリアを中心にさまざまな形態の飲食店を展開する しょうすけグループ 代表・出井武泰氏。新宿という街にこだわった店舗形態やメニュー開発で、多くのファンを生み出して拡大路線を辿ってきたしょうすけグループだが、その裏には今だからこそ語れる苦難もあったという。成功をおさめた後におとずれた大リストラやどん底からの復興など、現代飲食店経営の真実をお教えいただきます。 |
モスフードサービスでもう少し働きたかったのですが、実家のFC店がやばい状況では帰らざるを得ない。25才の時に実家の会社にいやいやながら入ることになりました。とはいっても、“ 男は仕事 ” と思いはじめた頃だったから、一生懸命働きました。モスバーガーには、フランチャインズのオーナーが全員の店を回って審査するシステムがあり、A~Dにランク付けされていました。 うちの店はもちろんDランク。僕としてはモス本体で働いた経験がありますから、何としても業績を上げたかった。朝も夜も営業時間を伸ばしましたが、スタッフはほとんど新人に入替えていたために休めなかったです。私と残ったバイト2人は必死に働きました。結局、1年位で売上120~125%になり、Aランクにも上がって、それから直ぐに2店舗目の出店も果たしました。
充実していましたが、やはり心のどこかに 「 人のふんどしで商売をしている… 」 という思いがありました。そういうときに、居酒屋の自社ビルを改装して店舗を増やすという話があり、「 俺がやる 」 と手を挙げたわけです。モスの方は社員に任せて、居酒屋経営を決意しました。
私にとっては起業ですが、会社が所有している物件で、資金もある状態でスタートですから恵まれてますよね。いまから11年前ですが、当時の新宿は、安いだけの大手チェーン居酒屋ばかり。そういう中で、ちょっとオシャレで女性が入りやすいというコンセプトを打ち出したら、たまたま繁盛してしまった。本当に素人考えの商売が当たってしまったんです。ヤキトリと一緒におでんもやっていたのですが、大根が煮えるまで二週間くらい掛かってましたもん(笑)。そんな状態でもお客さんが来てくれて、30分待ち・1時間待ちになっていました。
あの頃は 「 Hanako 」 をはじめ雑誌の影響力が強かったのですが、各誌に取り上げられるきっかけがありました。「 ショムニ 」 というヒットドラマの撮影現場になったのです。この近辺がロケ現場になり、そのことで 「 お騒がせしました 」 と制作会社が近隣の店舗にお詫びに来られたんです。裏で何が起こったかは言えないですが、怖い方々がね…(笑)。そのうちに撮影現場として使わせてもらえないかと依頼があり、大したシーンではないだろうと気軽に引き受けたら、あの女優さんたちが一斉にやってきたのです。結局3回ほど撮影に応じたのですが、その後のドラマ内でも、「 今日は、庄助行くぞ! 」 とか 「 庄助の割引券あるけどどうする? 」 なんてセリフを彼女達がアドリブで言ってくれたんです。それで、店の写真を撮りに来るお客さんが全国から集まりましたね。決して美味しいから繁盛したという理由ではないのです(笑)。
それで儲けちゃったものだから、向かいの土地を買ったり、新宿西口のビルを買ったりして店舗を増やしました。飲食店経営というものが分ってないから、話が来れば手を広げていた。テナントを借りて商売を広げるという発想すらなかったのです。目の届く範囲内でやれるし、生まれ育った新宿なら良いかと簡単に考えて出店したら、それらの店もはやってしまったんです。どの物件も自社所有で稼ぐから、すごいペースで成長していきました。でもやっぱり、世の中順風満帆ということはないですね。つまずき方もすごかったですよ。
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出井 武泰
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| 1967年東京都新宿区生まれ。父がオーナーを務める居酒屋を小学生の頃から手伝い、大学卒業後はヤオハン、モスフードサービスに勤務するなど一貫して接客業に親しむ。実家が所有するビルの改装に伴って、1997年に居酒屋新店の運営を任せられることになる。以降、新宿を拠点にさまざまな業態の店舗を成功させて、しょうすけグループを形成する。現在は新宿12店、池袋1店の飲食店を運営している。中学生の頃から始めた趣味のサーフィンでは、大学生の時に学生チャンピオンに輝く。プロサーファーを目指してオーストラリアで生活していた経歴も持っている。
しょうすけグループ Website >> |
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