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「 起業リファレンス 」 は、前回の十一章で完結(仮想開店)を迎えたわけですが、店舗運営はこれからが本番となります。人気店・繁盛店となるために努力や苦労を重ねていくわけですが、現在の大手外食企業も同じように創業期の試行錯誤を重ねて成長を遂げてきたのです。今回は起業リファレンス“番外編”として、外食企業の実例を数多く見てきた論説主幹・坂尻高志氏による「大手外食企業の創業風景」をお届けします。

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まずは、本サイトの 「 外食企業物語 」 を改めてご覧いただきたい。華々しくスタートを切ったあと、次の店舗が思うような売上が上がらず、自社のフォーマットを全面的に見直して再スタートしたという 「 日本ケンタッキー・フライド・チキン 」(KFC) の例がある。1970年に外食産業勃興の起点となった大阪万国博覧会が開催され、その中のアメリカ館でKFCは実験店として運営された。連日、高売上を記録し、万博開催中の7月には日本ケンタッキー・フライド・チキン株式会社が誕生する。実験店の大成功を受け、万博後の11月には実質的な1号店となる 「 名西店 」 を名古屋市西区にオープンさせるが、これが失敗してしまう。
「 …原因は、アメリカでポピュラーだったドライブインスタイルの郊外型店舗をそのまま持ってきてしまったことだ。 70年初頭の国内の自家用車保有率はわずか20%程度。当たり前といえば当たり前の話だが、お客さんが来られないところに店を出しても売れないというわけである。」(外食企業物語 本文通り)。
まさしく原因はこの通りだと思われるが、当時の日本はまさにモータリゼーションの真っ只中。 1970年の乗用車保有台数は870万台。決して多くはない数値だが、その10年前の1960年は45万台。60年代の10年間で、実に20倍という爆発的な伸びを示している。さらに1969年には、東名高速道路が全面開通して名神高速道路と直結、東京−神戸間の大動脈が完成した。これは、大阪万博の大成功を支えた要因でもある。
KFC名西店の失敗は、保有台数の問題よりも、アメリカでの標準モデルである 「 ドライブインスタイルの郊外型 」 の店舗をそのまま持ってきたことなのだろう。成功するにはそれなりの理由がある。アメリカでの外食産業の歴史の深さ、アメリカ国民の食生活、車の利用動機とその価値等、当時の日本とはまったく異なる環境がアメリカにはあった。そこで生まれたフォーマットをそのまま持ち込んでも成功は難しい。1970年以降、アメリカで大成功を収めているFF(ファストフード)系企業が、鳴り物入りで日本に上陸しているが、そのほとんどは失敗に終わっている。
KFCはこの失敗を糧に、翌年の1971年4月に4号店目となる店舗を神戸の繁華街に出店。店舗レイアウトも全面的に変更している。7月には東京青山に進出。この成功で確実に日本国民の中にKFCブランドは浸透していった。アメリカでのFF立地=郊外という常識を、日本はFF立地=繁華街(一等立地)という常識に変えてしまった。後述するマクドナルドの成功も併せて、FFの繁華街出店モデルは、アメリカにも逆輸入されることになる。成功フォーマットを手に入れると、あとは時代が後押しをする。1973年12月には東京赤坂に100店目となる店舗がオープンする。1号店オープンから僅か3年での快挙である。

実は、最初の店が成功し、その後に大苦戦する構図は、FFの雄 「 マクドナルド 」、FRの雄 「 すかいらーく 」 もまったく同じだ。早期の失敗が、その後の成長・拡大路線の試金石となったのは言うまでもない。そのアプローチ方法も妙に似ていたりするのだが、詳細は番外編の後半戦で紹介したいと思う。
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